Michael Sandelの「Justice(邦訳:これからの正義の話をしよう)」は皆さんご存じと思いますが、お恥ずかしながら私は本を読んだことがなかったので、とりあえずHarvard Universityでの講義を聴いてみました。こういう難しい問題に何か一つの解を出すのは、かなり楽しいです。私がこの講義に出席していたら、他の方の意見を論破して、これだ!というただ一つの解を出したいと必死になるでしょう。
たとえば最初の質問、トラックが衝突する先に5名の労働者がいて、衝突は免れない。唯一運転手が取れる行動は、ハンドルを右にきって、そこにいる1名の労働者を殺してしまうという選択肢のみ、という状況で、どのような判断が正しいのか、というものです。1名の命より、5名の命の方が重いので、多くの方がハンドルを右に切るでしょう。
では、今度は立場が変わって、その事故の様子を橋の上から見ている人だとしましょう。橋の上の「私」は、トラックがそのままだと5名の労働者を殺してしまうことを知っています。唯一「私」がとれる行動は、橋の端にいる太った男性を突き落として、トラックと衝突させて、彼を殺す変わりに5名の労働者を救うという方法です。
このケースでは、多くの人が太った男性を突き落とすことはしないという判断をします。単純に5名の命が1名の命より思いというのであるなら、なぜ先ほどと異なる判断をするのか、この二つのケースの違いはどう説明できるか。というものです。私が考える回答は、
5と1の比較をする次元とは異なる次元で「私」は判断するから。
です。別の言い方をすると、二つ目のケースでは5と1ではなく、0と1の比較をしているのです。
生身の人間である「私」は、数値的な世界に生きているのではありません。生きていて、これからも人生が続いていく「私」にとって、人を助けられなかった後悔より、人を殺してしまうことの方が、傷跡が大きいのです。だから、この二つの事象は比較している対象が違うのです。最初のケースは人を殺すケースの比較なので、5名より1名を選択します。これは大変合理的です。二つ目のケースは、人を殺さない(殺人現場に出くわす)か、殺すか、の比較なので、1名より0名を選択します。これも大変合理的です。
上記の回答に反論がある方は、ぜひ書き込みをお待ちしています!
補足すると、ロボットが判断するとすれば、後者でも1名を殺害することの方が合理的となります。
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